37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

あめのおとを聞きながら、ぬるめのおふろにはいる。昨日から腰が痛いので、これ以上ひどくならないように。小学校のとき、朝起きたら突然立てなくなっていたことがあったから、せめてそうならないように。みずのおとを聞きながらだと、いつもよりすこしゆっくりお風呂に入ることができるような気がする。眠れるような気もする。眠れないときは、京都のお寺の水琴窟の音を録音したCDを聞いていたりした。大学時代、京都にいったときにたまたま買ったもの。もうずいぶん聞いていないから、今日あたり引っ張り出してみようか。萩にいったときも、萩焼の水琴窟のおとを聞きたくて、卒業前におともだちと出かけたりもしたのだっけ。もう死んでしまったおばあちゃんの家は道路をはさんで砂浜と海があって、泊まりに行けば波の音を聞きながら眠り、波の音で目覚めた。夜明け前の波がいちばんしずかだった。おばあちゃんがいったように。あのときは、それを聞きたくて、夜明けにおこしてくれるよう頼んだ覚えがある。夜明けの海の音なんてどれくらい聞いていないのだろう。
……照明をすこし落として、首までおゆにつかってまどろむようにめをとじていると、あまおとにまじってじぶんの心臓のおとがきこえてくる。あめのおと、みずのおととまじって、まじって、どっちがどっちかいつのまにか自分でもわからなくなっている。みずのおと、しんぞうのおと、みずのおんな。昼間、本で見た鏑木清方の「妖魚」があたまを離れない。それをみてからは、人外のものになるのなら、水性のものもいい気がしている。きっといい。まだまだ腰は痛むけれど、みずのおとと心臓の音がききわけられなくなってしまった今日は、金魚でも、海底の王宮でもなく、波間を飛び回る人魚の夢でも見ましょうか。足がなくても泳ぐが儘に、どこにでもいくことができる人魚の夢を。