2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧
ずっと行っていたのに今日は行けなかった。過呼吸のせい? いえいえ、実は一睡も出来なかったのです(さぁ、目薬買いにいかなくっては!)。
綺麗な矛盾、というのは生きるのに十分な理由ですか?ここにいいてもいいという理由になり得ますか?こう問うこと自体が赦されているということは、こういう問を発することができるということは、すでに私たちは恩寵の中にいると思っていいのですか? わたし…
「生きていることが、どれだけ、私たちの重荷になっているか、どれだけ、自由を束縛しているか、わかっている?」 「生きていることが、自由を束縛している? それは、逆なんじゃない?」 「いいえ、生きなければならない、という思い込みが、人間の自由を奪…
週末まるまる二日ほど記憶がほとんどなかった。
カウンセリングに行った後は、Eau de Vieという名の場所へ行って参ります。もうここ何年かこの日に行くことになっている処。もう少し、生き延びるために、生きるために。命の水をのむために。
32歳で夭折した佳人ルネ・ヴィヴィヴィアン。今夜はしゃりしゃりと紙を切りながら、月あかりで、死への強い憧れがこめられた彼女の詩を読むことにいたします。
微熱が下がらない。月光沐浴者の名前をいただいたので、それを名告ることにしようか。朝の光もあいかわらず怖いのです。
「L'ÉVOCATION VOL. VI」ができました。今回も密かに参加させていただいています。 どうぞよろしくお願いいたします。http://shinkaisha.exblog.jp/
しばらく夢のなかに入っていく準備をしている。
窓の大きい部屋は、だんだん明るくなっていく朝の光がはっきり見えすぎて怖い。
言葉は世界との絆。たとえば、綾波がエヴァに乗るのをみんなとの絆と表現したように。世界と結ばれつづけるために、今日もまたわたしはわたしの魂を言葉に乗せつづける。
夜はふたたびみたび真紅の闇のなかへ沈んだ日でした。 薬指の標本 (新潮文庫)作者: 小川洋子出版社/メーカー: 新潮社発売日: 1997/12/24メディア: 文庫購入: 12人 クリック: 124回この商品を含むブログ (310件) を見る七瀬ふたたび (新潮文庫)作者: 筒井康隆…
古本屋にて、たまたますすめてもらった小川洋子『薬指の標本』と筒井康隆『七瀬ふたたび』を買う。
話せたらよかったのに。
9日の金曜日にお仕事であった方が余談で話してくれたのだけれど、現在、今、つまりこの瞬間を数字で表すと、10の−33乗という数になるのだって。それはあまりにも小さすぎて、量子的に測ることすら出来ない不可視で極小の世界なんだって。 見えない、予測でき…
それでもって、ついでに発熱してしまったので、本日は自宅作業をしていました。
土曜日の夜に呑んだ薬がきつかったのか、単に疲れていたのか日曜日は身体に力が入らず脱力状態。文学フリマ、行きたかったのに。それにしても処方箋の5分の1くらい(?)しか服用していないのに、正直に心身のことを話すとここまで強い薬が出てしまう。で…
オレンジを食べようと包丁を使っていたら、左手の中指も一緒に切ってしまう。抉れている感じ……今、中指のおなかには深さ三ミリから、直径七ミリくらいのちっちゃい真っ赤なクレーターがあります。でも、ほとんど痛くない。血も余り出ていなくて残念(?)、…
知りすぎることは恐ろしい。でもわたしは常にそうあることを選択してきたし、これからもそうあろうとしつづけるだろう。絶対的ななにか(たとえば恐怖とか)に打ち負かされ、思考が停止するまでは。
絶対的に癒されることのない領域を絶望と呼ぶ。
入るべき場所? アンナ・カヴァンの「アサイラム・ピース」というタイトルを聞くたびに思い浮かぶ言葉。
狂気を孕んで水面を走る死者たちの木霊【エコー】その響きにわたしの魂は盛んにこの肉体を離【さか】ろうと、試みる いつからか耳に届く決して已むことのない蠱惑者【アルーア】たちの声 雨降る今夜、声にはさらに磨きがかかり、その引力を増す。今は衝動に…
目が覚めたら、部屋の様子が一変していた。 誰かが滲入したのかと思って、あわてて部屋の鍵を確認したけれど、ちゃんと閉まっていた。なにも覚えていない。夜の記憶が全然ない。こんなこと、初めてだ。怖い。怖い。怖い。増えていなくてはならないはずの体重…
ふらふらと土曜日の雨の中、神保町までおでかけして、万年筆を買ってしまいました。 神保町は、伝説の金ペン堂で。 実は文房具好きで、デパートやら銀座に行ったら必ずITOYAや鳩居堂などに行ってしまう。しかして、このあいだモールスキンのノートを買おうと…
生きていたら80歳? 神奈川近代文学館に行かなくては。
今日は朝早くに熱いお風呂に入って、ANAYのお気に入りの黒いワンピースとFOXYのストローハットを身につけて、湘南線で青い海を見ながら鎌倉まで。駅に着いたら、霞草をひとかかえ買って、献花に向かう。時刻は太陽が南中するころ、木々の緑はいっそう濃く爽…
電車のなかでブルトン『ナジャ』(白水Uブックス)を読む。某先生に必読、と言われて買っていただいたもの。Qui suis-je?というこの問は、ひとつの存在の中で死ぬまで繰り返され、常に新たにされていく問いなのでしょう、きっと。
東京のはしっこまで、行ってきました。言葉に出来たことも出来なかったことも含めて、こんなもやもやした気持ち、呑んでいた梅酒ソーダわりの泡にみんなみんな溶けてはじけてしまえばよかったのに。
ジーン・ハーロウの映画、見たことある? ジーン・ハーロウはとてもいい女でしたよ。 百万人に愛されて、映画の中でも何度も死んだ、 そう、何度も死んだ。 おまけに映画の外までも酔っぱらって、 自動車事故で死にました。 死に方は全部まちまちで、 それぞ…
見るという行為は人間を部分的存在にしてしまう。もし、世界の全体を見ようとしたら、目を閉じなければだめだ。