37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

2004年7月28日の日記より

「生きていることが、どれだけ、私たちの重荷になっているか、どれだけ、自由を束縛しているか、わかっている?」
「生きていることが、自由を束縛している? それは、逆なんじゃない?」
「いいえ、生きなければならない、という思い込みが、人間の自由を奪っている根元です」
「でも、死んでしまったら、何もない。自由も何もないじゃないか」
「そう思う?」彼女は微笑んだ。
「だって、それは常識だろう?」
「常識だと思う?」
森博嗣『四季 春』講談社、2004 )

「君はいったい何がしたいのかね?」
スワニィが押し殺した声で聞いた。
「私はただ、私の生を見たいだけ」
「生を見るとは、どういうことだ? 自分の人生ならば、誰でも見られると思うが」
「貴方が覗かれる顕微鏡の中に、貴方の生がありますか?」
「人間の神秘はあるよ」
「貴方の神秘は?」
スワニィは目を細め、難しい表情で止まった。
(『四季 冬』同上)

その問いに答えがないのは、わかっている。
生きてここに在ることは、大いなる矛盾だ。
だが、神にも等しい天才・真賀田四季は微笑んでいう。
その矛盾は綺麗だ、と。
「生き」ているという薄いガラスのような
足場の上に積み重ねられていく日々の出来事。
立っている場所はあまりにも脆弱で希薄で、奇跡的。
いつ崩れ去ってもおかしくはないというのに。
この、矛盾を多くの人はどうやってやりすごすのだろう。
例えば、世界があと5分後に消滅するとしても、不思議はないのだし、
同時に5分前に出現したのだとしても証明のしようはないのだ。
どちらでも違いは、ない。あってもわからない。
どちらであっても、なぜそうあるかのその理由も根拠もない。
ただ、終わらずに在る。

……いつか終わるだろうと思っての二十数年はさすがに長い。
それでもこの矛盾は綺麗なのでしょうか。

「永遠に対する希求でもなく
終わらないことに対してだけ
そう、
終わらない。
絶対に終わらない   でも

もう やめてよ   ねえ?」
岡崎京子「終わらない」『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』平凡社、2004)


2004年07月28日