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読書と映画の備忘録

グレゴリー・コルベール、ASHES AND SNOW

   

◆夢に還る

いったいどれくらいの刻をやり過ごせば、たどり着ける夢なのだろう、此処は。

長久の刻をカメラの前で過ごしながら、ようやく捉えた美しい一瞬。そのたった一瞬が、永遠の夢となって顕れている至福の映像。それが今年の誕生日に貰った、最も美しい夢のひとつ、グレゴリー・コルベールの「ASHES AND SNOW」でした。

――たとえば、ハトホル神殿の暗い回廊で低空飛行する鳥と戯れ舞う女性、だれもいない階段【きざはし】に置かれた古書の頁が風で捲れていく……

あるいは、水際で死んだように静かに、象と眠る少年や少女達……やがて、目覚めた彼らは巨大な象の腹の下を笑いさざめきながらくぐり抜けていく……

あるいは、砂塵舞う砂漠で目を閉じて横たわる女性たち、子供たち。決して、目蓋を開けることのない彼らのすぐそばを、美しい肉食獣が寄り添い、横切る……

また、あるいは――

すべてがゆったりとしたリズムで刻まれた、セピア色の夢たち。撮影技術に詳しくはないのだけれど、撮り方が特殊なのではと聞いた。とても長い長い時間をかけて撮影されているらしいということ。映像のなかにあるのは、この現実と違う刻の流れ。ぎゅっと凝縮された、とても密度の高い時間。荒ぶっていた感情はいつしか鎮まり、どこか遠くに心が誘われていく。なにか理由を見つけようとする前に、頭が分析しようとする前に、繰り広げられる光景の美しさに圧倒されてしまう。

……夢よりも夢らしい世界がそこにはありました。そして、それは言葉で説明するには全然足りなかったりもする。だって、夢は、夢だけは、やはり自身で見てみなければわからない。言葉では伝えられない消息や気配のほうが多いから。だから、見た人自身で、その人の言葉で捕【とら】まえられたものがあったら、それがいちばん確かなもの。美しいものを見たい人、目の欲望に飢えている人は、一度体験して欲しい夢だったりする。

……今年の初夏、この夢を見ない日はなかった。どれだけ繰り返し見ても倦むことのない夢。偏頭痛がいつもよりつらい今日は、この夢にまた還る。

なぜそちらにいけないのだろうと不思議に思いながら。


◆煙草の火を強請る

吸えないくせに、煙草の火をねだる。
煙草を吸うためではなく、火そのものを。
熱さを。痛みを。忘れかけているなにかを。