37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

+11月の或る夜は、氷の言語でできた詩を

――凍てつく氷の言葉でもって詩を書くひとがいました。ずっとずっとむかし。N.Nというなまえの。


お仕事の依頼にいって、最後に思わぬ流れで、ある詩人の手書きの原稿のコピーをみせていただくことになって。手書きの文字はやっぱり生々しくて、書いたひとのこころのふるえまですべて伝わってくるようだね。すこし目の奥が熱くなってしまう。そこまで、心が揺れるなんて思わなかった。声をだしたりなんてしなかったけれど。みせてくださった方が、かまわないと言ってくださったので、冷たい言葉に心が凍りきってしまわずにいられた。


その詩人の詩は、十代のとき、心に奥深く突き刺さってしまったもの。たとえば、永遠に癒えないからこそ、やるせなくて愛おしい傷、そういうたぐいのもの。出逢ったのは夭折詩人のことを書いた本から。それからも、さまざまな夭折詩人の詩や散文日記をみてきたけれど、いまだにこの聡明で怜悧な言葉でできた詩を超えるものに出会わない。いっときは、出版戦略もあってか、この詩人と同時代を共有した、全共闘世代のひとたちに愛読されていたという。


でも。その時代を知らなくても共有していなくても。どの詩にも濃厚に漂っている冥い死の気配と烈しく冷たいけれど、的確に心を射抜く普遍的な言葉に、ひきよせられて、くりかえし読んだ。本は限られていて、読むことができた詩はそんなに多くはなかったけれど。いまでも、詩を読んでいるとふっとそちらにいきたくなってしまう。なにも考えずに。まだいったりなんてしないけれど。


でも、ちいさいときからなぜかずっと心の片隅でそう願いつづけているもうひとりのわたしを忘れたことはないよ。どんなに幸福なときでも。
もうずっとずっと昔に、あなたを忘れることだけはしないと誓った。暗い影としてではなく、傍らにいつもそっとより添ってくれるものとして。


その祈りを鮮やかなまま保つために何度でも思いだす。
誓いを無限回数魂に刻みつける。


いつだって飛ぶ覚悟で生きつづけているのだから。