37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

credo

信じる、という営為が対象に向けられると依存になってしまう。何かを信じるというのは、「何かを信じているという自分を信じること」でしかない、と思う。そして、そのようなことを思うとき、同時に「独り」ということを強烈に感じてしまう。知覚してしまう。

「独り」は、決して決してマイナスではないどころか、正反対でさえあるけれど、なにかを求めて渇望するような、ひりつく痛みがある。脳神経学の本をひらくと「痛みは感情ではない」と書いてあり、なぜかほっとして本を閉じた。

まだ何かに依存せずに在りたい。 まだ何かを信じることができているはずだから。そうでありたいと祈りながら、次の訪れを待っている。 まだ、待っていられる。 だから、まだ、まだ大丈夫。