37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

桜桃忌

今日は桜桃忌でした。さくらんぼ、買いそびれています。画ニメで女生徒を見て気になっていたので、青空文庫で読む。なんでこんなに女の子が気持ちがわかるのか不思議。

「箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。濁って濁って、そのうちに、だんだん澱粉が下に沈み、少しずつ上澄が出来て、やっと疲れて眼がさめる。朝は、なんだか、しらじらしい。悲しいことが、たくさんたくさん胸に浮かんで、やりきれない。(中略)朝は、意地悪。」(太宰治「女生徒」、青空文庫より転載)


眩しくてきらきらしていればいるほど、朝のひかりは恐ろしい。今朝も、理由のない恐怖を感じてふるえながら、身体がおきるのをまちます。いつものように、いつものこと、そう言い聞かせながら。怖い夢をみたことすら覚えていないときも恐怖を感じとってしまう身体。夢から醒めてもうひとつの夢に移行するまえの空白のとき、頭がふたたび働き思考をはじめるまでの短い時間、安全なおうちのあたたかいベッドでぬくぬくと寝ているはずのわたしは、どこにいるのかわからずにただふるえる。純粋でおそろしいところへと投げこまれて。だから朝は怖い。そのなにもない時間をみたす奇跡のような純粋性が、怖い。だから、これからも何処に目覚めようと目覚めるたびに、わたしはふるえつづける。最期の夢を夢見ながら、いくつもの夢を渡り終えるそのときまで、ずっとずっと。