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読書と映画の備忘録

白井純子「クレイジーキャベツ」と終末

白井純子「クレイジーキャベツ」(東京三世社、1986)より「夏の思い出」を読む。大好きな短編「サマタイム」(大島弓子)を連想させる。もうひとつ名前を忘れてしまったけれど、49年組の人の漫画で、(萩尾さん?)夏の終わりに毎年村人達が子供たちには内緒で戦争で世界の終わる瞬間の直前まで時間を戻す話が忘れられない。本当は世界は終わっている。その村だけが、なぜか戦争で地球がなくなる直前、時間を引き戻す方法を知っていて、というお話。終わりのない夏休みを繰り返す永遠に大きくなれない子供達。それは死んでいるのと何処が違うのだろう。

タイトルが思い出せない。思い出したい。

夏と終末感覚はわかちがたく結びつく。暑い夏に真っ赤なかき氷すくって喰べながら、いつもいつも思うのは生命の頽廃と、世界の終わり。
核爆弾の白い閃光。いなびかり轟かせて虹色に輝くキノコ雲。あのキノコ雲の映像は綺麗だった。全体が薄紫がかった淡いピンクで。
アメリカが記録のために、8月6日の広島上空の映像をカラーで撮ったもの。不謹慎だと思いながら綺麗だと思ってしまった自分を忘れない。

あの夢のような雲の中にいるひとたちは決してその光景を見ることがなく、雲の下では地獄絵図(なんてありきたりな言葉、だけれど!)が展開されていたというのに。

ディズニーアニメ「眠り姫」のオーロラ姫が王子とダンスをするとき、三人の魔女が姫のドレスの色を決めかねてて喧嘩をはじめたので、姫のドレスの色が虹色にくるくるかわる場面があった。まるで色の洪水のドレス。そんな感じの雲の色でした。

でも、あれを美しいと思ってはいけない。何故、でも、それは禁じられている。封印しておかなければいけない。ヒューマニズムとか人権とか、そういうことではなくて(嫌いな言葉たち、とても曖昧で使いづらくて)。それをはっきりまだ言葉に出来ないのが悔しい。

さくりさくりと紅く冷たい氷を掬って、生温かい唇に運んで溶かすたび、この世界も一緒に溶かしてしまえたらいいと思います。今年もかき氷、虎屋とTAKANOに食べに行きたい。どなたかご一緒しますか?世界の終わりを語りながらでよろしければの話。食べ終わるまでの一万八千秒、舌でふたりの世界を真っ赤に溶かしながら。

……でも、かき氷、本当は抹茶が好きだったりする。