欲望の名前
22歳で死んじゃった女の子のニュウスとか、某アナのニュウスとかばかりが気になる。お気に入りの定食屋さんで独り御飯食べながら、社会勉強中。つけっぱなしにされているテレビのニュウスはいつも酷い話ばかり。女の子は殺されるために存在しているようよ。でもみんなニュウス見ているようですぐ忘れてしまう。関心があるようで無関心。報道は面白可笑しくなされているだけで、見ていると吐気がする。真実は誰にもわからない。でもそんなこといちいち気にしているひともいないみたいだ(……ここにはいるけれど)。
そんなとき、決まって
「さまざまな説話が勝手につくられ語られた さまざまなバージョンで でもそんなものみんなすぐ忘れていった
だいたいもう誰でも覚えていることなんか出来なくなっていたのだ
みんな何でもどんどん忘れてゆき ただ欲望だけが変わらずあり そこを通りすぎる
名前だけが変わっていった」
という文を思い出す。岡崎京子『ヘルター・スケルター』の一節。
時々酷く淋しい。でも、これもすぐ忘れてしまえばいい。……欲望の存在さえ忘れなければ。