37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

悪しき多元宇宙

藤子の考えているのはいわゆる多元宇宙であり、彼女は時間旅行者としての自分の存在が、つまり彼女の時間旅行が、多元宇宙の発生につながっているのではないかと疑っているのである。そして藤子は、自分の新しく発生させた宇宙が、悪しき宇宙に違いないという考えを抱いてしまっているのである。
(中略)
電灯を消してから、急に七瀬は喋りはじめた。「でも、だからといってあなたがこれ以上の時間旅行を厭がるのはおかしいわ。多元宇宙というのは、もともと、無数に平行して少しずつ異なった世界が存在しているという考え方でしょう。そんな多くの世界のどれもこれもにあなたが責任を感じる必要はないんじゃないの」
 暗闇の中で、藤子がベッド上に上半身を起こしたことを七瀬は知った。
「でも、たとえばその世界のノリオやヘンリーだって、やはり生きているのよ」激しい調子で藤子はいった。「この世界のノリオやヘンリーとほとんど変わるところのないノリオやヘンリーなのよ」

――筒井康隆『七瀬ふたたび』(新潮文庫、1978)

 時間旅行をしなくてもわたしたちは想像力で容易く多元宇宙を発生させることができる。おそろしいほどにかぎりなくどこまでもひろがりつづける無限の宇宙を。その宇宙には、また善きこともなにものでもないことも、悪しきことと同じくらいあるはずだ。
 でも、藤子の怖れは、とめどない想像力や未知の内的世界に対して抱【いだ】かずにはいられない畏怖と、とてもよく似ているので、どきりとした。

でも、想像力なしでは生きていられない。どうしよう。悪しき宇宙の、多元世界の発生を阻止するには……どうしたら、いい。でも多分答えは一つ。想像力をとめること。わかっている。わかっている。答えはとっくにわかっているけれど、苦しい。