37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

夜の園


夜、連れられて、いままで歩いたことのない道を歩く。そのひとが案内してくれなかったら歩くことなんてなかったはずの道を。
涼しい夜気に包まれた遊歩道は、人気がほとんどなく静かな水の音しかしない。野良猫がわたしたちの前を走り去っていく。交わす声よりも、風や水音のほうが大きいこの場所では、言葉もざわめきに紛れて、まるで音楽のように聞こえる。声はとぎれとぎれにしか聞こえず、やがてモノラル、風の音がひときわ大きくなり、ミュート。ざわりと風が夜を揺らす。と、一層鮮やかに夜景が目にとびこんでくる。目の前のひとの笑顔と一緒に。それをみるたび、このひとはいつも困ったような、ときには泣き出してしまいそうな笑顔をする、とかってに思う。
 それにしても会社のすぐちかくにある処なのに、こんなに長い間、知らないままでいたなんて。知らなければ知らずに終わっていたはずの美しい場所。知らなければ知らないままで居たと思うと、今日の偶然性に畏怖してみたり。でも、美しいものを見てしまった悦びのほうが優っているよう。水と緑と光と影に充たされた穏やかな空間。わたしはそこから、そっと夜の境界を覗き込む。たとえば、高みから、低く暗いところにある池を。水面はライトアップの光のせいで、ひときわ濃い闇に沈んでいる。いくら目を凝らしてみても、そこになにも映りこんでいないのが妙に嬉しい。なにもない、なにも、なにも(だから余計に水のおもては黒々として美しかった)。
 それから、山の手の電車の音を遠い世界の音のように聞きながら、不思議な時間を過ごし、夜の底を歩きまわる。夜の並木道、夜の教会、夜の幼稚園。どこも静かに存在の気配だけを放って佇んでいる。ほんのちょっと光が異なるだけで世界はこんなにも違って見える。夜風が昂ぶる不安をすこし払っていった。
 さいごは、何度も何度もふりかえりながら、その場を立ち去る。また明日、同じ時間にここにきたとしても、今日と同じ夜は二度と立ち現れたりはしない。だから、残像のようにうかびあがる背後を確かめながら、帰る。だれもいなくなったあとで、その夢のように綺麗な場所が消えてしまうのではないかと、いつまでも畏れながら(そして、それはまだ微かに続いている)。