37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

エリノア!

◆エリノア
42年ものあいだ、幻の少女漫画といわれてきた『エリノア』が、さわらび本工房から、ついに復刊するそうです。かつて『週刊少女フレンド』に一度だけ掲載された作品。当時十七歳だった作者はその後、次の作品を準備しているときに逝去。救いのない絶望を描いたとして評価されるも、幻として語り継がれてきた作品。

http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68311186

読みたい、絶望を、なにもないところのものを。でも、ほんとうに読みたいのは、巻末の……いまで発表された内容とは全く違う、彼女の死せるところの……。42年前、いま生き延びていたら59歳? 喩え読んだとしても彼女の真実はだれにもわからないけれど、それでもそこに近づきたいといつも思ってしまうのはなぜなのだろう。

来月この本を読み終えたときに、もっとわたしは遠くにいける? また見たことのない景色を見ることができる? 切ない想いで待つこんな気分は叶わない恋愛にちょっと似ている。読んだら、きっとどこかに読後感を書いてしまうなー。気になる、気になる、速く読みたい。

いまは満を持して、待ちたい気分。
気になるひとはさっそく予約!


◆魔法
忘れてはいけない。ほんとうは帰る処なんてどこにもないということを。

魔法使いがちょっと残念そうにいう。君は魔法にかかりにくいからね。でも、魔法は魔法だって信じなければ、魔法でなくなるんだよって。
信じることができるのなら、それが魔法でも大きな嘘でもよかったの。でも、魔法を信じていないわけではない。問題は、魔法にかかっていたとしても、わたしがそのわたし自身をすぐに信じられなくなってしまうということ。常に引き裂かれながら、存在していて、その痛みで、世界との距離を測っている。苦痛を、求め続けていないとすぐに忘れてしまう。ここがどんなに過酷な場所かを。忘れてしまえば美しいものも見えなくなってしまうから、それがとてもこわくて、すぐに求めてしまう。

だから、「覚えておくために忘れないために」、まだなにかを見るために、わたしはまだ魔法を忘れない。かかっていないのだとしても、かかっているふりをしつづける。してみせる。

もしかしたら、いつか、魔法がじわじわと心の底まで到達したときは、ほんとうにかかることができるかもしれない。

でもこの意識があるかぎり、どこかに醒めていない部分がなくなるなんてことは絶対にない。でもないとわかっているからこそ、「かもしれない」と、ふと考えてしまうのです。



◆悪夢
ここ10年は悪夢しかみていないというのは、本当で、でもおきてすぐ夢日記にしてみれば、なんだか陳腐で滑稽なZ級の夢だったりもする。でも、からだが震えていたり、体温が下がっていたり、泣いたあとがあったりするので、なにかほんとうに怖いことがあった、らしい、と気付いてぞっとする。たぶん2回目の背筋のぞくぞく感、気持ち悪さ。

こないだ聞いてぞっとした話は、手術ししているときに、麻酔から覚めてしまう話。目が覚めたら手術台の上で、内臓が剥き出しにされているってあまりにも怖い。なにが怖いって、なにをしてもそこから逃れられない状況だということ(これがいちばん怖い)。それはけっこうあることで、でもあまりにも過酷な記憶なので、それをそっくり忘れられる麻酔薬をすぐ投入するのだとか。ほぼそれで、目覚めた記憶だけがすっかり綺麗に消えてしまうのですって。

こういうのがあって、悪夢を見た記憶が消えるといーねーといって、話してくれたひとはわらっていたけれど、この話のほうが怖いです……起きながらにして見る悪夢、現実が悪夢になっているだもん……。