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読書と映画の備忘録

プラテーロ

ねぇ、プラテーロ、という呼びかけがとてもやさしくて切なくて大好きな、ヒメネスの『プラテーロとぼく』を読んだのは、小学生のときで、子供向けの岩波文庫かなにかにはいっていて、母が買ってきた本で、でも読みながらすっかり夢中になって。添えられているラフェエル・オルテガのイラストも大好きだった。そのなかでもとりわけ好きで、繰り返し読んだ、忘れられない物語は、雷雨の夜、みんなを驚かそうと、真っ白いシーツをかぶって暗闇のなかにでていって雷に打たれて死んでしまう女の子の話。ただ、それだけの話なのだけれど、なぜかその話が一番好きで、いまでも一番好きだ。

とある作家さんがいつかのトークショウで好きな小説の名前として挙げていて、びっくりしながら、嬉しくてどきどきした。いまはないおうちの居間にあった深緑のふかふかのソファに座って、この物語を読み耽っていた記憶を揺り動かされて。

深夜、もうみんなが寝てしまってだれもいない、静まりかえったおうちの居間、ひとりの女の子が(まだ九歳か、十歳だった)、詩人の言葉を通して、遠い遠い西班牙の長閑な田園風景を想い、「わたし」や「プラテーロ」と一緒に過ごし、知るはずのない場所の悲喜こもごもや四季の移ろいを感じていたあの遠い記憶。

ねぇ、プラテーロ、と「わたし」が呼びかけるような存在をわたしはいまだに持ちえていないのだけれど、羨ましいというより、もしかしたらやっぱりそれを欲していないのかもしれないとも思い、そういうあり方自体に落ち込みそうになるときはある(なんだか本末転倒な気もするけれど)。

ねぇ、プラテーロ、ねぇ、こんなときはどうしたらいいんだったっけ?
今夜は忘れてしまって、どうしても思い出せそうにないの。
雨の音がやさしくひびいて仕方がない夜。

(プラテーロはなにも答えなくていいんだ。答えないからいいんだ。プラテーロはね、灰色の綺麗なロバなの)

プラテーロとぼく―アンダルシアのエレジー (岩波少年文庫 3094)

プラテーロとぼく―アンダルシアのエレジー (岩波少年文庫 3094)

※『プラテーロとわたし』というタイトルのものが現在入手しやすいみたいです。