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読書と映画の備忘録

村上春樹『1Q84』

ようやく村上春樹1Q84』をよみはじめました。どんな物語なのか予備知識一切なしです。あるひとに自分のちいさいころの人生の話をしたら、そういうことや在り方や思考が、なんだかふかえりや青豆とオーバーラップする、といわれたのを契機【きっかけ】に。

そのひとはこうもいった。
決して頭がわるいわけじゃない。話ができないわけでもない。でも、君のことばには高度に抽象的な概念しか他者と共通言語がないのだよ、とも。

たとえばと、彼はいう。たとえば、たいていのひとについて、休日にどんなことをしているのか、どんなかんじなのか、想像することができる。わかってしまう。でも、君にはそれがないんだよ。想像ができない。
或いは、言葉が他者とずれていて、喋っていると肩透かしを食らってしまう。話しているうちに解ってくるんだけれど、10年くらいどこかに閉じ込められて出てきた人みたいだ――。

それを聞いてわたしは萎縮する。常に感じざるを得ない違和感を言いあてられたようで。その言葉に真実が含まれていることがわかってしまうから。それでもなにかをわかりたいと心のどこかが思っていてもそれが叶わないから。

わからない。
わからない。
わたしにはわからない。
でも、そう明解にいわれるとなぜかとてつもなく恐怖を感じる。
わたしにわかることなんてなにもなくて、この世界のだれにもことばがつうじないのだろうかと思ってしまう。ますます揺らぐ現実感覚、ここにいていいのだろうかという強迫観念、波涛のように押し寄せる不安。

最初から決定的になにかが欠落しているかもしれないということ。うしなわれているかもしれないということ。誰よりもわかってはいるけれど。でも、最初から、あらかじめ喪われているものを取り戻すことはできるのだろうか。類推すらできない。忘れたのではなくて、知らないそれ、経験したこともないそれ。でも、なにかが欠如しているという根拠のない確信。

わたしの世界では月は二つなのだろうか(それでもちっともかまわないのだけれど。わたしがわたしであることだけはそれでもなぜかかわらないと思えてしまう、よくもわるくも。だから、この固定観念を、自我を徹底的に破壊されたい、変容させられたいと思い、圧倒的な力の支配に憧れてしまうときがある)

……こういうとき、世界がはやく凍ってしまえばいいと思う。なにかがどうしようもなく堪らなくなって叫びだしたくなる。

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1