37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

残り一日ですが告知 森開社展


こちらでももう一度告知。足をはこんでくださった方々、ありがとうございます♪


荻窪のミニヨンにて、1973年創立のプライヴェート・プレス森開社の展覧会がはじまっております。最初で最後の機会になるかもしれません。ご興味のある方、ぜひお越しください。
リラダンコーナー、左川ちかコーナーも特設。


1973年からの全刊行物と関連図書、原書、原稿の一部等を展示いたします。少部ですが、お頒けできる刊行書もご用意しました。また、森開社が精力的に飜訳、刊行した象徴派の他社邦訳作品等をも供したいと思っております。左川ちかに関する資料も展示しております。


・会期:2月27日(土)から3月5日(金)迄の一週間
・会場:杉並区荻窪駅近傍の名曲喫茶「ミニヨン」ギャラリー

+
http://nishiogi-bookmark.org/2010/nbmrelate14/


森開社の既刊書はこちらからごらんになれます。すべて書影つき。
http://shinkaisya.air-nifty.com/blog/


森開社主宰・小野夕馥氏のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ono2893


森開社について

森開社は1973年の夏に、小野夕馥個人の出版社として設立した。その年の9月25日附でジャン・コクトーの自伝的小説『白書』を江口清訳で上梓した。堀口大學氏より「……未だ飜訳されていない作品を手掛けられたら如何………」というような手簡を頂戴した。こうしたアドバイスもあり、以後未紹介のものを心がけた。
森開社設立の下準備は1971年まで遡る。それは開店後まもないジャズ喫茶、新宿「ピット・イン」で知り合った「井上望」の紹介でイラストレーターの「鈴木康司」と出会った。隔日くらいに新宿コマ劇場の近くを飲み歩いた。こうした出会いで産れたのが書下ろしの鈴木康司画集『WITCHEN』である。レコード・ジャケット風のサイズにして、子供が自由気儘に開閉する姿を想い描いた。販売ルートを持たない向う見ずの出版に危うい日々の連続だった。《毎日新聞》が取り上げてくれた。作者は「コージズキン」と署名をしていた(1976年6月30日附で売れ残った90部を改めて市場に開放した)。
ピット・インでは天才俳優「すまけい」や「柿崎未明」らが『ゴドーを待ちながら』を小屋掛け興行し、今はシャンソンを歌っている「森文子」が興行許可収得の為に駆け回った。小野は装置を担当した。その後、ピット・インでは唐十郎の芝居がかかり、わたしは李礼仙、常田富士夫、四谷シモン金子國義らを横目に、せっせとアート・シアターや草月会館通いと、神田古書店街徘徊? 高円寺や五反田、横浜などの古書展、デパート展通いを続けていた。
井上望」の突然の死は衝撃であった。薔薇十字社版、種村季弘『吸血鬼幻想』は彼の編集者として残した仕事のひとつだが、今ではそれがせめてもの慰めである。鈴木康司画集『WITCHEN』出版がその後の人脈を広げ、若い文学者との邂逅を齎してくれた。新宿は今にも爆発せんばかりのエネルギイで噎せ返っていた。東口はヒッピーであふれていた。個人出版は大先輩の深夜叢書の齋藤愼爾や冥草舎の西岡武良が、精力的な仕事をしていた。
憶えば懐かしい、活気に満ちた時代であった。
                    

                                                (文=小野夕馥)