37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

何故彼女は


今年の前半、すこし遠い記憶。



絵を描くそのひとのおうちは、そのひとが愛しているものでうめつくされていた。誰にも侵犯できない、堅牢なお城。あまりにも素敵だったので、夢中になって、宝物でいっぱいの戸棚や本棚を見せてもらい、話をした。たとえば、美しいもの、いとおしいもの、儚いもの、それでいて胸を引き裂くような破壊力をもつ、不可視のものたちについて。お互いのアンテナが触れ合いそうなひとにはする、いつもの話。すると、会話の途中で唐突に言われた。

貴女と話しているとあの本を思い出す。そんな感じがする。ねぇ、何故だろう。その本、貴女は知っているかな?

知っていますと肯定だけはして、あとは言葉が出なくて、にこにこしていた(どういう表情をしていいかわからなくなるとそうなってしまう)。貴女こそなぜ急に思い出したのですか……と、尋ね返しはしたけれど、まだ逢って3度目のそのひとは、わたしが以前働いていた場所についてすら知らなくて、とくに何かを意識して話をしていたわけでもなく、ましてや関連するようなことは一切口になんてしていなかったから、そのぶん余計にどこかが苦しかった。丁度別の友人が訪れて、その会話はそのままとなり、話はすぐに北園克衛展のことや、加山又造や、チェコのアニメのことや、球体関節人形のことなどに移ろっていった(書名をあえて書かないのは、これが書かなくても伝わるひとたちには伝わる物語だからで、それがこの物語には似つかわしいと思うから、です)。



とても楽しかったのに。帰ってからもその会話すら意識には昇ってきたりはしていなかったのに。夜中に急に呼吸がとまりそうになった。そのままだと魂の檻のどこかが緩んでしまいそうだった。だから、白やピンクの錠剤をいくつも呑んで目を閉じた。生きながらにして意識のスイッチを切ることができるささやかな魔法。

自分を魔法にかけて目を瞑った夜から、どれくらいたつのだろう。今でも目を開けるのはすこし怖い。でも。それでも。この感情が何か知りたい。悲しさでも拒否でもなく、でもいまだどんな言葉も拒みつづけている、ふしぎな気持。



何故彼女はそう思ったのだろう。魔法を解くために、書き続ける。