37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

+ブンミおじさんの森

私は子供時代内向的な性格だったので映画館の暗闇を逃げる場所としていました
今でも私はその頃と同じように映画を自分を守るための装置にしています 
あるいは言葉で伝えるのが難しいことを表現する
コミュニケーションツールとして考えています
映画はコミュニケーションツールでありまた自分を守ってくれるものです


(中略)


映画の作り方についてですが 
日々の生活の中の雑感や印象をノートに書き留めていって映画になる 
論理がないんですけれど ただ美しい過程だなと思っています


アピチャッポン・ウィーラセタクン「自分の生い立ちについて」(於・2010年11月20日東京フィルメックス



過日見た「ブンミおじさんの森」の特典映像より、もしかすると映画より印象に残ったことばたち。


映画館の照明がすぅっと暗くなると、繭に包み込まれているようにやわらかく守られているような気になる。その感覚を知ってから、映画が、映画館が好きになった。 監督のように、そして多くの映画を愛するひとたちと同じように、たぶん私も今だって、あの闇があるから息ができる1人なのだもの。

それから、さまざまな思い、かたちのないものが姿をあらわしはじめる過程は、やっぱり美しいと思う。誰かの見た夢がこの世界に産み落とされる瞬間のこと。善悪を超えて、純粋な想像力そのものには抗いがたい魅力があって惹かれてしまう。

アピチャッポン監督の名前を最初に知ったのは「トロピカル・マラディ」という映画から。数年前から都内の美術館とかイベントで何度も上映されているのは知っているのに、なかなかいけていません。いつか、見たいです。



監督は、映画にはとても私的で内面的なものが投影されている、自分のフィルムはプライヴェートなものだと言っていた。なんて贅沢に映画をつくっているのだろうと思った。

夢は秩序だっていない剥き出しのもの、とりとめのないものだと思う。映画もまた他者の夢だという思いがつよくなっているから、ひとつの物語として、まとまっているとはいえないのだけれど、この作品も夢のように見ることができた。王女が醜い顔を嘆き、水の神に身を投げ出す場面は、とても官能的でどきどきした。死者と食卓を囲む場面も静かで好きでした。

どうしたらいい?俺が死んだらどうやって君を捜す? 
君の魂は どこに行けば君に会えるんだ? 天国かい?
天国なんて何もない所よ
なら どこにいるんだ?
幽霊は場所には執着しない 人に執着するの 生きているものに
なら 俺が死んでしまったら?

何も見えない
……闇に慣れればまた見える