37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

+ブラッドベリ、お話を話す人、その日は満月の夜でした

――最後に、もしもあなたがまだ生まれていない将来の読者のために、自分自身にレッテルをつけなければならないとしたら、どんな種類のレッテルを選びますか? SF作家ですか、幻想家ですか、どうでしょう。


それの答えとして、タイム・マシンに自分を乗せて、幾時代も遡る旅に送り出させてもらうことにする。バグダッドの町に着いて、ぼくは市場のある広場を通り抜け、横丁に折れる。そこは物語の語り手の老人たちが坐っている場所だ。そこで、耳をすましている若者たちと、大声で話している老人たちとの間に自分の席を取って、自分の番がきたら喋りたいと思う。それは古い伝統――より、美しい、立派な伝統だ。もしもいまから百年あとに、誰か子供がぼくの墓を訪ねてきて、大理石の上にクレヨンでこう書いたら、ぼくは幸福だ――「彼は、お話を、話す人だった」と……。ぼくはそれ以上の名前は望まない。

峰岸久訳「ブラッドベリ・インタビュウ」、SFM1965年5月号より)

※「これは高級誌ショウがSFの代表作家ブラッドベリと試ろみた最新のインタヴュウです。」とあるけれど、ショウのいつのものなのかは記述が見当たりません。



――もしもいまから百年あとに、誰か子供がぼくの墓を訪ねてきて、大理石の上にクレヨンでこう書いたら、ぼくは幸福だ――「彼は、お話を、話す人だった」と……。ぼくはそれ以上の名前は望まない。


ずっとさがしていた上記の引用、出典がやっとわかりました! ネットにも散見されるけれど、出典が確認できず、自分にもあやふやな記憶しかなかったので、思い違いだったらと書かずにいたのだけれど、確かにあるのを発見。もしかしたら、別のインタビュウで同じことを言っていたり、単行本になっているものがあるかもしれないのですけれど。


6月5日に逝去したブラッドベリ氏。はじめて出会ったのは中学生のとき。熱に浮かされたように、しばらくブラッドベリしか読まなかった。図書館にいったら、次々と彼の本ばかり借りていた。あのときは、世界がブラッドベリ色に染まっていた。彼の手にかかれば、日常のちょっとした、こんなこともあんなことも、すべてお話になる。まるで手品のように鮮やかにでてくる無数の物語たち。魔法使いに出会ったかのようにわくわくしながら、授業中も隠れてぺージをめくっていたあのときの気持は、こんなに遠くから眺める今だって、眩しいくらいにきらきらしている。


今年も10月31日になったら、「集会」を読みかえしましょうか。ブラッドベリ氏は、まちがいなく物語という魔法を使える人だったのだと思いながら。