+かすみ草と百年、澁澤家のほうへ
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8月5日の今日は澁澤龍彦氏の命日。ひっくりかえした5月8日がちょうどお誕生日になるの。好きな花はかすみ草だとどこかで書いていたから、お墓まいりにいったときはかすみ草がたくさん入った真っ白な花束を抱えていった。そうして、あのまさに胡桃のなかの世界が体現されている書斎を訪れて、あれはいつも夢だったのではないかと思ってしまうくらいふわふわの時間をすごして。夢ではないとくりかえし言ってほしい。
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帰りがけ、澁澤家のポストの近くの地面に一輪、リボンがついた真紅の薔薇がそっと置かれていた。その色彩が今でもとても生々しく記憶に残っている。せっかくだから明日はかすみ草を買ってこよう。雪のような、マリンスノーみたいな白い小さな花は暑気払いにもになってくれそうです。
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百年たったら、みんな死ぬ、あるいは永遠と百年についてという日記を以前書いた。そうしたら、『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』にこんな箇所があった。千年ではなくて百年といっていたのがうれしかったテキスト。百年ということばは、なぜかとても切なくて永遠の匂いがするね。
私たちのまわりには、もう土方巽のような破天荒な人間を見つけ出すことはできないでしょう。戦後の疾風怒濤時代が生んだ、彼もまた一個の天才でした。世紀末になって、ハレー彗星が近づいてきたから、彼はもう地球におさらばしようという気になったのかもしれません。
さようなら、土方巽。つつしんで冥福を祈ります。百年たったら、また復活して生きていらっしゃい。
――「さようなら、土方巽」『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』より
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百年は、永遠に等しい時間。わたしたちの肉体やこころはそんなにながくはもたない。それはさびしいような、やすらぎのような、救済のような、どれもあてはまるようで、どれでもない気もする。ただこの一瞬と永遠を信じることがおなじ質量をもちますように、今日すこしでも眠れるように不在の神にそう祈る。眠りをつうじて夢に到達することは、永遠にちかづくためのひとつの技法なのだから。
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