37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

+リチャード・コールダー/増田まもる訳『デッドガールズ』

「僕は……」ふいに喉と口がカラカラになった。「僕はデッドガールが好きだよ」
お葬式でのこらえきれないクスクス笑いのように、タイターニアの顔に微笑のさざ波がひろがった。
「いいえ」彼女はわびしげに笑った。「わたしたちドールはなにも信じない。なにも持たない。なにもしない。わたしたちは存在しない。できれば――」まるで、誰かにどなりつけられたみたいに、その顔はいつもの自閉的な表情に戻ってしまった。「光りを」彼女はポツンといった。「もっと光りを」蝋燭がまぶしく燃えあがり、その光が緑に変わったので、まるで海藻の天蓋に覆われた海底の洞窟にいるみたいになった。「ドールだって、なにか信じるものが必要なの。ミセス・クレペルコーワのような人たちとおなじように。わたしたちに必要なのは……説明よ」

「ありがとう?」
「わたしのともだちになってくれて。わたしはドールよ。口に出していうことはできないけれど、あのね、あのね――」
「なあに、プリマヴェラ」
「わたし、あなたを――」
「僕も愛しているよ、プリマヴェラ」
「ええ、イギー」
 僕の臨終看護はそろそろ終わろうとしていた。でも、まだ眠ることはできなかった。彼女の生命がぼくのからだを流れていた。いや。彼女に人間の子宮を見つけるまでは、眠ることができなかった。そうでなければいいのに。ここで道が終わればいいのに。この物語がプリマヴェラを作るために上陸していくぼくの姿で終わらなければいいのに。ドールのお腹のなかで死の眠りにつくことができればいいのに。
 ぼくは彼女のお腹に手をあてた。ひとつだけ願いごとが残っていた。無駄にするつもりはなかった。ぼくは目を閉じてプリマヴェラの姿を思い浮かべた。背中を向け、傲慢で、横柄で、怯えきって――欲望の対象、究極の欲望の対象――いつでも飛びかかれるように身構えて、歯をむきだし、口を血に染め、顔をぼくの顔に近づけてくるプリマヴェラ。その歯はぼくの唇を裂こうとしているのだろうか、それとも、こどもっぽくほっぺたを膨らませて、軽いキスを、それと感じられない、おぼろげな、曖昧なキスをしようとしているのだろうか。

 それからぼくは願いごとをいった――無駄なのはわかっていたけど――この曖昧さを心に抱いたまま、この川を永遠に旅することができますように。永遠に彼女といっしょにいられますように。夜の共同墓地に馬を駆って、夜が永遠になるまで、どこまでも、どこまでも走りつづけることができますように。世界の憎悪の存在が、愛の存在と同じくらい確かなものでありますように。世界のあらゆる嘘のなかで、それがいちばん素敵な嘘だろう。
ノーンカーイ 一九九一年。

リチャード・コールダー増田まもる訳『デッドガールズ』(トレヴィル、1995)より