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読書と映画の備忘録

殺してくれる? さもないとわたしたち、永遠にこのままだよ。

……完璧な平和を実現した世界。その閉塞感をうちやぶるために、用意されたショーとしての戦争。その戦闘機のためのパイロット、子供の容姿をしたキルドレたちは、死と再生をくり返し、永遠に死ぬことが出来ない。「スカイ・クロラ」はそんな世界の物語。


一緒に見に行ったひとはいい映画だと言った。けれど、いつもスイトのようなことをいってしまいがちなわたしには、リアルすぎて、いいかわるいかの判断すらつかないのだった。

キルドレのひとりであり、基地を束ねる女性司令官、草薙水素(スイト)はいう。「殺してくれる? さもないとわたしたち、永遠にこのままだよ。」

キルドレでないわたしに終わりはくる。いつか。そのうち、まっていさえすれば。この衝動的な一瞬一瞬をやり過ごす術さえあれば。でも、このまま、何も変わらないのだとしたら。生きていても、もう何も新しいところへ辿りつけないのだとしたら?何も知らない世界を見ることが出来ないのだとしたら?もう限界が見えたとしたら?それはつまり、絶望してしまったらということ。

もしそうなったら、終わりたいと、願わずにはいられない衝動がわたしには確かにある。ちがう、終わりたい、ではなく、そうなってしまったら終わりだという感覚がある。そうすべきときなのに、そうできないというのが怖くて怖くて、怖い。だから、よく衝動に駆られてしまうし、その衝動を忘れたくないと思う。

 だけど、スイトが自らに銃を向けたとき、それを止めたユーイチは彼女に、今度は君がなにかを変えるまで生きろ、という。そのひとことで、スイトは自分を終わらせるのをやめた。少なくともそのときは。そのひとことは、もしかしたら、すぐ消えてしまうようなものだったのかも知れないけれど、その一瞬をやり過ごすためには充分なひとことだったのだ、きっと。

 キルドレたちのように空を飛ぶことすらできないわたし。決してとどかないものを求めて、手を伸ばし掴もうとしても、空はとおくとおく、とおく、決して届かない。気がつくと、空に手を伸ばす代わりに、となりのひとの手を握って爪を立てていた。そのひとは、なぜか、いつだってそうしたかったら思い切りそうしていいよ、とわたしに言う。何故赦して貰えるのかいつも理解できないままに、差し出された手を、わたしは畏れながら怖がりながら握ってしまう。爪をたてててしまう。少しだけ指先が綺麗に見えるようにって、たわいないエゴイズムでのばし気味の爪は、痛いって、痛いってわかっているのに。握った弱さのぶん、あとで余計に怖くなってしまうのはわかっているのに。

でも、こんなに近くに掴んでも赦されるものが、この瞬間だけでもあるのなら、すくなくとも一瞬だけは、やり過ごせてしまえるのかも知れない。変わらない何かを変えることの出来る瞬間を待てるのかもしれない。

 ……いつもスイトみたいなことをいってしまうわたしは、まず誰かに煙草をねだることからでも、覚えてみようか。一本の煙草が燃え尽きるまで、それだけの時間でいいから、もうすこし、なにか出来る時間があれば嬉しいのだし、せめて、その間は、笑っていられたらいいと思うのだし。

 キルドレたちが生きている世界は、殺して貰っても殺されても、生きていても何も変わらない。終わることの出来ない世界で、……それはきっと、この世界より怖ろしい世界。でも、この世界でも生きていても死んでも、本当は何も終わらないし、変えることのできるものは、ほとんどない。

だから、(自分の意志で)なにかをかえるまで生きろといった言葉は、微かな希望でしかない。次の瞬間には、儚く消えてしまうものでしかない。でもだからこそ、その言葉は、重くて痛くて苦しい。そして、忘れたくない。そんな言葉。

……この映画をもう一度どこかで見ようと思った。すぐになにかを忘れてしまうわたしだけれど、忘れないために。またどこかで思い出せるように。最後まで覚えていられるように。