37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

絶望と……

他人や世界に絶望することがまずない。なにかやだれかに絶望するのに似た思いを抱いたそのときは、まだ絶望するほどの自分が残っていたのだと自分で自分に溜息をついている。そういう自分にあらためて気付かされて愕然としている。なによりも自分自身に対して、そこに残っていた甘さに対して。

まだ見ぬなにかに対して、信仰のような思慕を抱きながら思いを吐露することもあるけれど、そうでありながらも、わたしはきっといまだになにも信じてなどいない。信じることができない。信じたくはない。なにものもなにごとも。他人は可哀想だと思うだろうか。知ったことではないけれど。なぜなら信仰の根幹であるべき自身がいちばん揺らいでいるのをわかっているから。信じるべき自分など何処にもいないのを知っているから。或いは信じることで他者を、世界を偶像化したくない。そうなってしまえばそれはもうすでに他者ではなくなる。まだ知らぬなにかに出逢う可能性もなくなってしまうから。

どんなに捨てても捨てても、消息を消そうとしても、この肉体的存在があるかぎり消えてしまう自分なんて、ほんとうはない。わざわざ主張などしなくたって、おそろしいほどに自分は過剰に世界に存在し続ける。一挙手一投足、ほかのだれでもないなら、それはまぎれもなく自分の行い、言葉、生の営みでしかない。

こうやって記述し続けること自体が、自身がもっともたるものであることを表明する手法の一つ。そうだと知りながら、同時にそれらすべてを揺るがせる可能性をもつつものとして、ここに存在して、記述しつづけているなにものかの正体を、今日こそ、見極めてやろう、あばいてやろうと思いながら、世界に黒い染みを刻み続ける。

ひとは生きながらにして、自身をどこまで無にしていくことができるのだろう。いまだってこんなに自身のことを表明してしまうという大いなる矛盾に侵され続けながら。