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読書と映画の備忘録

ウルトラQ『鳥を見た』

鳥を見た、を見た。土曜日の夜。

漁師村の浜辺でたった一人、海とともに生きている孤独な少年と、まよいこんできた小さな白い鳥との交流。鳥はクロウと名づけられる。

全体的にセリフもあまりやかましくなく、音楽と映像が淡々と流れていく。

それでも、波にさらわれそうになったクロウを少年が助けたり、大人に無理やり村に連れもどされようとする少年をクロウが助けたりと、だんだんとクロウと少年の絆が深くなっていくのがわかる。やがて、その鳥が普通の鳥でないとわかり、大人たちによって少年と鳥は引き離された。

その晩、捕縛された鳥はその本来の姿を顕し、とらわれの身から脱する。古代怪鳥ラルゲユウス! 全長43メートルの巨体を翻し、少年のいる浜辺の通り過ぎ、優雅に飛翔していくラルゲユウス。

その後姿を見送りながら、独り取り残された少年は叫ぶ。俺も一緒につれていってくれ、と。

そのさいごのひとことがきた。じわじわときた。それまでは会いにきた鳥に少年がさようならをいっておわるほのぼの系のドラマかと思っていたのだけれどちがった、ぜんぜんちがった!

一緒につれていってくれ、の最期のひとことで、少年をとりまいている世界がどんな世界がわかってしまったから。保護してくれる大人もいなくて、家らしき家もなく、自分の力だけで、生きている少年の世界が、どんなに孤独で過酷な世界か、わかってしまったから。しかも、唯一心のよりどころとなっていたクロウとも別れなければならない。

……ほかの照明が落ちていていてよかった(テレビを見るためにだけれど)。画面ではもうほかの映像を見ているのに、ずっと最期のシーンがあたまのなかでリフレインしていて、ちょっと息があがる。

だって、そのひとことは、ここではないどこかに憧れをもつ人、いつもここではないどこかに行きたいと思っている人は、叫ばずにはいられないひとこと。

一緒にということが不可能だと、そのどこかが独りでないとたどり着けないところであると知りながら、それでもなお呼びかけずにはいられないことばだったから。

そういうふうになにかに、何ものかに呼びかけずにはいられない言葉たちは、永遠に叶わない祈りのようでもあり、「いまここ」に対する最期の絶望の叫びであるような気もしてならないのです。