37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

たとえば

◆言葉が枯渇する前に、わたしはなにかを書きとめておきたいのだ。この世界と齟齬をきたし、なにもわからなくなるときがきたとしても。もしかしたらわたしでないだれかが、わたしのかんじたことの痕跡をかすかにでもかんじてくれることがあるかもしれない。あったらいいな。否定でも肯定でもいいのだけれど。それは奇跡のようなことだけれども。

◆夜の長さ。いままで一度も朝がこなかったことはないのに、いつも夜になると、この時間が永遠に続くような気がする。恐怖が消えないのは、朝が来ることを望んでいるわけではないから。


◆そうありたくないと思っていたのに、なぜかいつのまにかそうなってしまっていた。鍵が緩んだ? 
檻から解き放たれてしまったわたしのなかの一部分。絶対に閉じ込めておかなければならないそれ。
怖い。怖い。怖い。怖い。ものすごく怖い。
また、それを捕まえて封印することができるだろうか。その行為が赦されているのだろうか。真夜中、なくさないようにしっかりと銀の鍵をにぎりしめて、永い永い旅に出る。帰還できないとしても。奇跡が起こらなくても。

それでは、いってまいります。


◆それでも、忘れたくない。忘れたくない。覚えていたい。昨日の出来事のように鮮やかな記憶として。日々のうれしかったこと、素敵だったこと、胸が震えたこと、世界の見方ががらりと変わったようなこと。泣きたかったこと、苦しかったこと、すべてが終わればいいと思ったようなこと。

そういうことを感じることができた「瞬間」が「私」の中に存在していたということ。そのために声があり、文字があり、書物があり、写真があり、映像があり――つまりは記録するという行為があり、語るという機能が発達して……そうして、神話や物語が醸成されてきた。

「物語」に出会うことがたとえ死の谷に近づくのだとしても、出会わないよりずっといい。何度死んだとしても、わたしはそれを選択する。なぜなら、そこには可能性が存在しているから。ここにいながらにして、ここではないどこかへ、遠くへ行ける可能性が。ここから別の世界に醒めゆくことができるかもしれない可能性が。

死ぬまで尋めゆく者でありたい。たとえわずかしか、遠くの光に近づくことができないのだとしても。今はそれだけを願っている。

◆たすけて、とか、くるしい、とか、言葉があるうちはまだいいのだ。消えていく言葉。世界。必死にそれをつなぎとめる。

◆世界が終わるまで眠りたい。意識を消したい。それはとても清涼でいい気持ちのような気がする。何も考えずに、やすらかに。でも、この世界が終わったら意識は別の世界に目覚めるだけなのかもしれない。そのときはまた眠ればいいのだろうか。世界が円環でないことを願いながら。

◆ここにいてはいけない、という理由はない。けれど、ここにいなければいけない、ということもないのだった。永く生きているぶんだけ、わたしはわたしのなかのなにかを取り返しがつかないほど穢していっていることに気づきます。永く生きた分、よりはっきりと。だからといって純粋でいたいわけではないのです。まことに純粋であるためには、また同時に不純をしらねばならないといけないのだから。

ただ、奇跡はないのだと知ってしまうほどに恐ろしくなるのです。奇跡があるのなら信じたい。信じさせて。怖い。怖いの。