37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

None But Air

 そもそもあの夜、、自分がとった行動が、僕は今でも理解できない。だけど、まったく、後悔もない。あの場では、ああいった飛び方しかできなかったはずだ。どんなときでも必ず、最適のルートを僕たちは飛ぶ。飛ぶという行為自体が、そういう意味なのだ。すべてがちょうど釣り合った、最適のところに、結果としてルートが現れるだけのこと。速すぎれば大きく回り、遅すぎれば落ちていく、というだけのこと。

「率直に聞くけれど、自殺したいと思ったことは?」
「あります」
「何故、しなかったの?」
「わかりません。たぶん、周囲に迷惑がかかると思ったから」
「でも飛行機に乗っていれば、いつでもできるでしょう?誰にも迷惑がかからない方法で……」
「はい」僕は頷いた。
「最近は、もう、そうは考えない?」
「そうですね。地上に降りたとき、一番強く思うのは、もう一度飛びたい、ということです。死んだら、もう一度飛べません」

「仕事なんて、みんな汚いものだ。人間が生きてくこと自体が汚れている」
「そう」ティーチャは頷く。「問題は、それを、美しいものだと思い込ませるマジックだ。そこが一番の問題なんだ」
「でも、そうでも思わないと、嫌になる。生きていくのが嫌になってしまうから……」
「嫌になれば良いじゃないか」
「嫌になったら、だって、生きていけない」
「どうして、生きなければならない?」
「あなたは、どうして生きているのですか?」
「俺か? 俺は、簡単さ。汚いものが、それほど嫌いじゃない」
「そんなの、単なる言い訳です。詭弁です」
「そうだ、そういう単なる言い訳、そういう詭弁の汚さが、好きなんだよ」

                                 ――森博嗣ナ・バ・テア』(中公文庫、2005)より


魔法がなくても、ひとは生きてはいけるだろう。生きるだけなら。でも、それがないと、この世界が織り上げる奇跡のような美しさには気づけない。世界に幾重にもおろされている分厚い緞帳がときおりあがり、なさしめるようにあらしめられている場面が上演されているのを見逃してしまう。

世界を美しいと思えること、それ自体が魔法だともうわたしは知っている。無理やり魔法があるのだと、そう思うのではなく、自然にそのような文脈や流れに連れて行ってもらうこと、それ自体が奇跡だと気づいている。

目と耳をしっかり開き、研ぎ澄ましておかなければ。1秒たりとも休むことなく、世界の何処かで上演され続けている美しさを垣間見ることができるように。


ナ・バ・テア (中公文庫)

ナ・バ・テア (中公文庫)