37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録


以前の日記にいただいたコメントで、スタージョン『きみの血を』を読み返したくなっているところ。麻薬の名を持つ秘密めいたお茶をまた飲みたくなっているところ。そして――この日記のはじまりのはじまりをおもいだしていたところ。もうネットにはないけれど。


だからこそ、強い物語が成立しなくなっていることには必然性があるわけです、そういう意味では、「わたしが死んでも代わりはいるもの」という『旧エヴァ』の綾波レイのセリフはすばらしくて、現代社会の本質をきっちり捉えていた。エヴァはこの点においても、実際にはループしていないにもかかわらずループもののはしりのように受容されている。そういえば今回の『エヴァ破』の最後、シンジが「綾波綾波しかいない」と叫んでレイの手をギュッと握る場面があります。感動的な場面ではあるのですが、はたしてあのセリフが「わたしが死んでも代わりはいるもの」をはねのける力を持っているか。僕はそう思いませんでした。

「座談会 物語とアニメーションの未来 東浩紀宇野常寛黒瀬陽平+氷川竜介+山本寛」『思想地図 Vol4 特集 想像力』(NHK出版)より


>はたしてあのセリフが「わたしが死んでも代わりはいるもの」をはねのける力を持っているか。


それが知りたくて、次のQが見ることのできる日を待っている。ハッピーエンドを期待しているわけではない。その答えは、究極的にはそれぞれのなかにしかないものだから、それぞれちがうものだから、きっと、きっとね。
けれど、メジャーに対して庵野監督が、その綾波のセリフに、どういった物語を提示してくれるのかが興味深くて。うん、はやく見たいです。楽しみです。だから、より精確には、どのような展開になるのであれ、それをどう見せてくれるのかを心待ちにしているというところ。
次のQにむけて、あといちばん気になっているのは、やっぱり、病院の天井がうつってシンジ君が、また、ここか、とつぶやいていたシーン(ちょっと記憶が危ういけれど)。これ、あの世界の外部が描かれていた唯一のシーンだったのではないのかなぁ。
だから、このシーン気になりませんか?
シンジ君をとりまく黒服のおじさまたちも謎。もしかして、ミサトさんのところを出て行ったところから夢だったりして。黒服のひとたちに保護されてからずっとベッドの上だったとかいう設定だったりとかして(邪推)。

エヴァ破は、生まれて初めて映画館に2回、足を運んだ映画なのでした。でも、わたしにとってのエヴァはTV版があってこそのエヴァ。だから、破については、最初からエヴァが破みたいな物語として提示されていたら、絶対好きになっていなかったことだけは断言できましょう……。