37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

+バーン=ジョーンズ展、神話に触れる夏の午後3時

  


ようやくいくことができました、前ラファエロ派最後の画家とも称されるバーン=ジョーンズ卿の絵画展。日本初の個展とのこと。最終日近くなので、人が多かったらどうしようとこわごわ、でもちょうどいい混み具合でした。


会場では、可愛いと聞いていたミノタウロステセウスの一枚がお出迎え。卿がミノタウロスのきぐるみを着て、テセウスのようにわたしたちが彼の美の迷宮にはいってくるのを、いたずらそうに待ちうけているみたい。そんなお茶目な一枚でした。バーン=ジョーンズ卿の手招きならば、アリアドネの糸はなくとも喜んで迷おうと、先にすすみます。会場の三菱一号館の建物は、複雑に入り組んでいて、ほんとうに迷路みたいにぐるぐると歩くことになりました。


素敵だったのは、四方に眠り姫の習作が飾られた眠りの部屋(と勝手に名づけた)と、眠り姫の絵の部屋。10代のころから不眠症もち。眠りが描かれている絵をみていると、嬉しいような切ないような気持になってしまう。不思議な安らかさがあるそこに手を伸ばしてみるのに、まだたどりつけなくて。眠りと死と永遠は近い、きっとね。


眠り姫のその部屋は時間がとまっていて、わたしも足どめされてしまう。彼女が目覚めるとき、こちらの世界は、わたしたちは消滅してしまう――姫の頭上の砂時計がふたたび時を刻むとき、一枚たりとも落ちずに咲く薔薇が、花弁を散らすそのとき、夢は反転する――しばらくそんな甘やかで優しい妄想に浸る。たぶん叶ったりはしない、でも。


そして、いちばん魅了されたのは、『Flamma Vestalis(ウェスタの女祭司の炎)』というエッチングローマ帝国ウェスタ神殿で、聖なる炎を絶やさぬよう守りつづける最高位の巫女、純潔の象徴でもある。火を絶やした巫女には死が待っていたという。色付きのバージョンも存在する絵。でも、このモノクロのエッチングだからこそ惹かれます。はるかいにしえから、大切なものを真摯に守りつづける、その寂しげで静かな佇まいに。


盟友ウィリアム・モリスとジョーンズがつくった豪奢な本をはじめとする素晴らしい書物にも痺れました。ケルムスコット・プレスの本の装丁・挿画や、トロイ活字の美しいこと。モリスが「理想の書物」と呼ぶ、まさにユートピアを閉じ込めたような文字と紙の宝石たち。一冊の書物には、ひとつの宇宙が内包されているのだと信じさせてくれる存在感があります。だからでしょうか、知らない言語の書物でも、星を仰ぐように白い夜空にきらめく文字を眺めていると、胸が高鳴ってしまう。これこそが書物という形式にそなわる魔法なのだと、ちいさいころからずっと思っている。


無事に迷宮を脱出したご褒美は、カフェ1894での休憩です。食事は少し重すぎる、でも朝からほとんどたべていなかったことを思いだして、頼んでみたのは眠り姫のデザートプレート。グラスのは薔薇の花弁入りゼリーとチーズムースとラズベリーソースが3層になったもの。手前のピンクのふわふわは、薔薇のアイスクリーム。甘すぎず薫りもよい一皿でした。眠り姫の絵の原題は「TheRoseBower(薔薇の部屋)」。だから、薔薇尽くしなのね。ちいさい眠り姫のカードがついてきました。裏は8月で終わりのカレンダー。うれしい。


帰りは、薔薇咲きみだれる中庭を横切りながら。お庭にミストが放出されているのを発見。気持ちよく浴びてきました。好きなものを見ると、生き生きと心がよみがえる。暑さにまいっていた体も、少し生気づいたよう。水に解き放たれた人魚みたいに気持よく、ジョーンズ卿の世界に心泳がせてきた夏の日でした。


この暑さに弱りきってしまいそうなら、ゆっくり体調をととのえて、心を解き放ちにおでかけしましょう。まだまだ夏日ですから、熱中症にはくれぐれもご用心。心地よく泳げたら、こっそり教えてね。