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読書と映画の備忘録

+巨神兵と一緒に見る終末の夢、東京2012

――特撮博物館に行ってまいりました、2012年の夏の日のこと。


世界なんていますぐ滅びればいい。そう願いつづける貴女が消えずにわたしのなかにいることは知っているよ。明日にでもあの巨神兵がここにくればいいのにと、存在することすべてを、世界を憎悪しつづけるのをやめられない貴女。だから、この魂はいつまでも落ち着くことができずに、また疲れ果ててしまう。


でも、展覧会のはじめにこう書いてあったのを読んだでしょ? 館長のことば。

誰も観たことのない空想世界を創造する魂の力。
それを具現化する繊細かつ大胆な技術。
更に映像作品へと昇華させ完成させるものすごい情熱。
そして、仮想空間に情報で描かれた立体物ではなく、
実在する立体物を空気と光学レンズを介して描かれた映像世界の
様々な魅力を少しでも感じ取っていただければ、幸いです。⋆

巨神兵東京に現わる』を見た後、その言葉を頭のなかにひびかせながらジオラマのなかに入ると、眼前にたちまち巨神兵が降臨し、さきほどの映像が再現されていく。


完全に、完璧に、魔法にかかった。だから、ほら、もう大丈夫。
大気に響き渡る轟音や頭上から落ちてくる巨大な影を感じる。とてつもないものがやってきたのがわかる。見て、あの圧倒的な破壊力を。地上が炎で覆われ、高層ビルというビルが薙ぎ倒されていく。東京タワーがみるまに熱波でまがって折れてゆく、飴細工のように。見慣れた駅が、街並みが一瞬で火焔の海と化す。巻き上がる灰燼に視界は霞み、世界が焼ける匂いが鼻をつく。大気はちりちりと熱をはらみ、吸い込む息は熱くて、喉や胸が焼けるよう。なのに、背筋はぞくぞく寒くて、足が竦む。逃げなくては。そう思っているはずなのに、一瞬たりともこの光景から目が離せない。映像の語り手の少女がそうであったように。この東京をかくも美しく破壊していくあれは、まぎれもなく神なのだから。


……空想力と情熱、熟練された技術によって作り上げられたミニチュアが、どこにもないものを召喚するための魔法陣となってくれるのなら。魂はいつでも自由に想像を駆使して、あの巨神兵を呼びよせることができるはず。その空想の中でなら、わたしは世界を憎悪しつづけながら恐怖におびえるもうひとりのわたしを殺しつづけることができる、無限回数永遠に。そう思ったら、なぜかすこし安心できた。なぜだろう。はっきりとはわからないけれど。でも、魔法にかけてもらえたことがとても嬉しかった。つまり、わたしはあの映像表現や技術に惹かれ、素直に感動したのだった。その証拠に、帰宅する足どりは軽やかだったのだもの。


こちらの世界に名前のないものをひきよせ、名づけ、顕現させる力。この現実から逃げるのではなく、この現実と対峙し戦う手段としてのいとなみ。それが、想像や幻想の機能だと信じている。だから、いままで多くの人がそうしてきたように、何度でもくりかえし彼岸のものをこちらにひきよせたい。それが波打ち際に築く砂のお城のように、現実という恐ろしい波に常に突き崩されてしまうものだとしても。
まだ魔法はあるのだと、今夜も信じていいのなら。


*『館長庵野秀明 特撮博物館ミニチュアで見る昭和平成の技』図録より