37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

+ダーガーのどこにもない王国のこと

巨神兵の日記を書いていて、ダーガーのことを思い出したので、ダーガーのことを。そういえば、「エンジェルウォーズ」という映画が公開されたとき、トレイラーやスチールを見ては、ダーガーのヴィヴィアン・ガールズがなぜかあたまに思い浮かんでいた。結局映画はまだ見ていません。


ダーガーの絵を見ているとなぜか泣きそうになってしまう。とても豊かな内面世界を持つためには、必然的に魂は孤独でなければならないと思うから。ずっとそう思っていた。でも、彼の世界にひたっているうちに気づく。孤独な人は、こんな色使いでこんな絵を描かない。彼は本当は孤独ではなかった。少なくともその魂や精神はこれ以上ないほど充たされていた。彼は豊かなその内面世界を生きた。もうひとつの世界と自由に往還しながら。それと比べれば、この現実なんて何ほどのものでなかったのだ。
ヘンリー・ダーガーをはじめて知ったのは、たぶん中学にあがったばかりの頃。『芸術新潮』の特集号にのっていたのを読んだのだったと思う。


いつか表参道でやっていたダーガー展は疲れていて熱があって、会場の前までいったのだけれど、とうとう中にまでは入れなかった。とても残念だったけれど、売店にまではたどりつけたので、ポストカードを買った。そのポストカードには、「ブレンゲン、猫頭毒なし、キャサリン島にいる種類のもの」というタイトルがついていた。黄色い猫頭に、ドラゴンのからだをしている。どことなく可愛い。
ブレンゲンは、ダーガーが生涯をかけて綴った、一万五千ページ以上にもわたる『非現実の王国で』と題された世界で、子供を守護しているいきものだ。王国では、子供奴隷制を持つ軍事国家グランデリニアと、ヴィヴィアン・ガールズという両性具有の可憐な七姉妹たちが終わりなき闘いをくりひろげている。少女たちはどんなにひどい目にあっても決して戦うことをやめたりはしない。
ダーガーは、そんな物語を生涯かけて紡いだ。この物語がみつかったのは、彼の死後。部屋を貸していた大家さんが遺品を整理していたときにみつけたのだという。発見されたのち、奇跡的にその価値に気付いた人々の手によって公開された物語でもある。


今、記憶しているかぎりで書いてしまえば、ダーガーは孤児院で育ち、人とコミュニケーションをとることもうまくなく、家族ももたなかった。ダーガーが産み落としたヴィヴィアン・ガールズたちには男性器がついていて、それは、ダーガーが生涯女性とセックスしたことがなかったからだとか、女性の裸体をちゃんと見たことがなかったからだとも言われている。そう推測されてしまうくらいに、天涯孤独だった。ほんとうのところは不明なのだけれど。
それでも、ダーガーは、淡々と機械的な仕事をこなす日常を送りながら、家に帰ると、比類なく素晴らしい非現実の世界にいくことができた。その想像力について思うとき、もしもこの世界にそんな力が存在していなかったら、あったとしても機能しなくなってしまったらと思うと、ぞっとしてしまう。
夜な夜なグランデニリアと戦闘を開始し、闘いつづけるヴィヴィアン・ガールズとは、まぎれもなく、よるべない現実と戦い生き延びつづけたダーガーそのひとでもあったのだから。


強靭な幻想の前に、彼岸との境界は決壊し、いつしか世界は変容を遂げてしまう。卓越した想像力の前では、現実なんて脆くて儚い泡沫でしかない。

だから、わたしは”アヴァラニウスの園”を求めずにすむひとよりも、求めずにはいられないひとを信じる。あの狂宴へと招く白い手に抑えがたい誘惑をかんじずにはいられないひとたちを。