37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

その7

「機械?」
「わたしは/造り物/なんです」
「壊れてるの……」
「ええ」
「それで/動けない/のか?」
「いえ/それはほとんど/関係ありません/見せかけだけで/用を為して/ませんから」
「わたしの体」「そんなのばかり/なんです」
「人間のまがい物」「天使のまがい物」「機械のまがい物」
「これが/私です」
「今のあなた方には/何に見えますか?」
鬼頭莫宏テルミドールの時間」『ヴァンデミエールの翼 1』アフタヌーンKC,1997)

人形に生まれてしまえたらよかったのに。そう思ってもいまさらもう遅いのだけれど。人形になれなかったわたしは、人間にもなりきれずになにかのふりをするしかない(ときどき、もしくはいつも)。でもできることなら、ほんとうはほんとうは、たったひとつだけでいいから、なにかに対して完璧でありたい。ありたかった。


「あなたは/何かに似せて/つくられた/のではない」
「それ自体で/完成された/1つの意識/なのです」
「誰かの命令/ではなく/自らのために/動くことが/できるのです」
「そとに規範を/求めるかぎり」「喪失感は/埋まりません」
(同上「ヴァンデミエールの滑走」『ヴァンデミエールの翼 2』同上)


もちろんわたしは完璧な人形ではないのだから、自分の意志で自分のためにうごくことができる。好きな人に会い、好きな物を買って、好きな物を食べ、嗜好にあう書物を選んで読み、こうして日記を記すこともできる。でも「そと」の存在はわたしのなかに既に内的規範としてあらかじめ埋め込まれている(その存在を疑いつつも、疑うというなにものかは在る)。だから、内部に規範を求めることはわたしにとっては「そとに規範を求める」ことと同義。
だとしたら、完成された意識だと、わたしを規定し、呼びかける貴下はいったい誰何なのでしょうか?