37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

葬儀の日[本]

「本当に楽か?」灰色の髪の男が言った。
疲労を感じさせないところが罠なのさ。まだわからないだろうけれど。聞け。そいつを知ったことでおまえは充足する。有頂天になる。満たされる。おまえの言う欠如感覚が消えるからな。だが同時にもうそれ以上身動きが取れなくなってしまっていることに気がつかないんだ。束縛され制限されたことに気がつかないまま充足感に溺れてしまうのは危険極まりない。底なしだからさ。確かに楽かも知れない、おまえの関心がそっちの方ばかりに向いている間は。それでもいつか気づくんだ、突如として視界が開けた時に。そして気づいた時には、すでにおまえたちは偏狭な半径内で縫合されていて、中断する意志力さえ失われ、後は転げ回るしかないってことになっていないとは限らんぜ。」
松浦理英子『葬儀の日』河出文庫、1993)