37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

「1-1=0
美しいと思わないかい?」
博士はこちらを振り向いた。

――小川洋子博士の愛した数式』(新潮文庫、H17)

ええ、思います、思いますとも、博士。

「いちたすいちは、に、だとおもう? ほんとうに?」教授がわたしの前で不意に立ち止まり、正確なゆっくりとした日本語でこう聞いたことがあった。中世哲学の講義。尋ねられるとも思っていなかったわたしは、その質問にいいえ、と答え、首を横に振るのがやっとだった。どう言葉をたぐり寄せて紡いだら、その問いに答えうるのか、教授を納得させることができるのか、そのときはわからなかったのだ。

いちたすいちは、に、であり、なおかつまた、じゅういち、でもありうる。そして、また違う答えもある。その可能性を否定できない。このようにひとつの数式からでも、この世界はまったくちがった様相を顕現させることができる。
そういう世界の在り方、無数に姿形を変え、顕れては消えていくその美しさをわたしは否定することができず、そして、また世界は美しくない、ということを証明することもできないままにいる。

否定するには可能性をすべて排除しなければならないというのに。二極化を貫こうとする悪しき思考?
でもだから、わたしは言ってみる。なんだか今夜はすこしだけ赦されるような気がして。

「せかいはうつくしいです、とてもとても」

博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)